大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和41年(ネ)136号 判決 1968年2月23日

控訴人

黄錦聯

外一名

代理人

栗脇辰郎

外一名

被控訴人

社会保険診療報酬支払基金

代理人

横大路俊一

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は、控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人黄錦聯に対し金七十万八千十八円、控訴人井口秀雄に対し金八十七万九千十二円の支払いをせよ。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠方法の提出、援用及び書証の成立に関する陳述《省略》

理由

一(控訴人らの債権差押及び転付命令と診療報酬)被控訴人が控訴人ら主張のような法人であり、訴外医師菅野寿が保険医療機関の指定を受けた東武中央病院、大和基地日本人診療所、ワシントンハイツ日本人診療所及びグリーンパーク日本人診療所を経営し、診療担当者として被控訴人に対し昭和三十六年一月から昭和三十七年一月までの右病院及び三診療所における別紙「診療報酬金明細表」記載のとおりの診療報酬債権を有することと、控訴人黄錦聯が菅野寿に対する浦和地方裁判所昭和三十六年(ワ)第三七一号売掛代金請求訴訟事件の執行力ある判決正本に基づき昭和三十七年六月十二日浦和地方裁判所より菅野寿が診療担当者として第三債務者である被控訴人に対して有するワシントンハイツ、グリーンパーク、大和基地の各日本人診療所における昭和三十六年十二月一日より昭和三十七年一月三十一日までの診療報酬合計金七十万八千十八円の債権につき差押及び転付命令を受け(同庁昭和三十七年(ル)第二四号、同年(ヲ)第三九号)この命令が同月十三日被控訴人に送達されたこと、控訴人井口秀雄が菅野寿に対する東京法務局所属公証人古橋浦四郎作成昭和三十五年第七〇七六号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基づき昭和三十七年六月十二日浦和地方裁判所より菅野寿が診療担当者として第三債務者である被控訴人に対し有する前記三診療所の昭和三十六年八月一日より同年十一月までの診療報酬合計金八十七万九千十二円の債権につき差押及び転付命令を受け(同庁昭和三十七年(ル)第二五号、同年(ヲ)第四〇号)この命令が同月十三日被控訴人に送達されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二(笠井の差押及び取立命令の効力)被控訴人は、控訴人らがその主張のように差押、転付を受けた前記三診療所における診療報酬債権は、訴外笠井寛太郎において昭和三十六年三月八日浦和地方裁判所より菅野寿が被控訴人に対して有する右三診療所及び東武中央病院における昭和三十六年一月一日より金三百十六万七千二百八十円に満つるまでの診療報酬債権につき差押および取立命令をえ、この命令が同月九日被控訴人に送達されたことにより差押の対象となつていたものであるから、控訴人らのえた転付命令はその効力を生じないと主張するに対し、控訴人らは、右笠井が被控訴人主張のような債権差押および取立命令をえたことは認めるが、その対象たる診療報酬債権のうち将来発生すべき部分は診療担当者が現実に診療の給付をしてはじめて発生するものであつて、その以前においては債権の発生原因も存在せず、その内容も不確定であるから、この部分に対する債権差押および取立命令は無効であると抗争するから、次にこの点についての当裁判所の見解を明らかにする。

笠井のために発せられた前記三診療所及び病院における診療報酬債権に対する債権差押及び取立命令は、その対象がいわゆる継続収入の債権であると解して発せられたものであることは明らかである。そして、実務上診療報酬債権を継続収入の債権として差し押えている事例が少なくないことは、ほぼ顕著な事実といつて差し支えない。しかし、当裁判所は本件のような診療報酬債権は民事訴訟法第六百四条にいわゆる継続収入の債権に該当しないと解する。もとより、診療所又は病院を開設して一カ月間全く患者の来往がなく診療報酬債権が発生しないという事態は常識的にいつて考えられることではなく、この意味において診療報酬債権が一種の継続収入の債権であると解すべきことには異論がない。しかし、診療報酬債権は診療という個々の関係から生ずる債権であつて、一個の基本的法律関係から生ずる支分権的な権利ではない。この意味においてそれは俸給のごとき継続収入とは大いに趣きを異にするのである。換言すれば、診療報酬債権はたんに事実上の継続収入の債権にすぎず、俸給のごとき一定の基本的法律関係から派生する法律上の継続収入の債権ではない。このような事実上の継続収入の債権をも俸給等に準じ将来の収入にわたつて差押を許すべきかは、大いに問題とされなければならないと考えるのである。

事実上継続する収入の債権であつても、月々の収入額が一定し、客観的にその額を把握しうるような場合はこれを俸給等に準じて差し押えることができるのではないかと考える(事実上このような収入は存在しないであろうが)。その差押を許してもその範囲が明確であつて債務者及び第三者を害することがないからである。これに反し、本件診療報酬債権のごとき月々によりその額を異にする債権は俸給等に準じてこれを差し押えることができないと解すべきである。その差押の範囲が不明であつて、場合により債務者を不当に拘束し、また、第三者の利益を害するからである。このことは、たとえば、債務者が事実上差押外の将来の債権を処分する機能を奪われ(差押の効力が及ぶこととなるかも知れないから)、また、第三者が事実上差押外の将来の債権の譲渡を受けまたはこれを差し押えることを封ぜられることを考えれば明らかであろう。もとより、かかる結果は、差押に対して配当要求がなされることにより差押の範囲が拡張されるとする説(いわゆる拡張説)をとる場合にも生じうることである。当裁判所にかかる結果を不当とし、その故に拡張説はこれをとりえないと考えている(でないと、たとえば、先行の執行債権額からすれば三箇月分の給料債権の差押にとどまると考え、その後の給料債権につき差押および転付命令をえたところ、その後、先行の差押につき配当要求がなされたためその差押の範囲が拡張され、転付にかかる給料債権もその範囲にはいり、転付命令はその効力を失うという不都合を生ずる)が、月々の額の一定しない事実上の継続収入の債権の差押を許しては、常にかかる不当な結果を容認せざるをえないこととなるのである。およそ、差押というがごとき債権者及び第三者に利害を及ぼす行為は、その行為の当時にその範囲が明確であることを要するものと解すべきである。以上の理由により、本件診療報酬債権に対する笠井のための差押及び取立命令は実質上その効力を生じないと解する。

三(弁済供託の効力)被控訴人は、右のように控訴人らがえた債権差押及び転付命令にかかる診療報酬債権のうち、グリーンパーク日本人診療所における昭和三十六年八月分から同年十月分までの債権については、すでにその譲受人に支払済であり、また、その余の分については民事訴訟法第六百二十一条第一項によりこれを供託したから控訴人らにこれを支払う義務はないと主張し、グリーンパーク日本人診療所における昭和三十六年一月分から同年十月分までの診療報酬について被控訴人は、菅野寿から、昭和三十四年十二月十五日付京橋郵便局第六五〇号書留内容証明郵便をもつて、東都医師信用協同組合に債権譲渡した旨通知があつたので、右の通知にかかる毎月分の診療報酬を別紙「診療報酬明細表」記載のとおりの額でその翌々月中に逐次同協同組合に支払つたこと、被控訴人が前記三診療所の昭和三十六年八月一日から昭和三十七年一月三十一日までの診療報酬を含む昭和三十六年七月一日から昭和三十七年四月三十日までの診療報酬金二百三万八千七百三十九円(但し、グリーンパーク日本人診療所の診療報酬に関しては昭和三十六年七月分から同年十月分までの金額は除かれている)を昭和三十七年八月十四日東京法務局に民事訴訟法第六百二十一条第一項により供託し、同月十五日浦和地方裁判所に同条第三項による事情届を提出したことは当事者間に争いがないから、次に、右の弁済及び供託の効力を順次検討する。

(1)  まず、控訴人らは、被控訴人がグリーンパーク日本人診療所の昭和三十六年一月から同年十月分までの診療報酬債権につきなされた債権譲渡は虚偽表示に基づくものであるから無効であると主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて、<証拠>によると、菅野寿は右協同組合から融資を受け、その債権額も百二、三十万円ほどに達したので、右診療所における診療報酬からこれを支払うこととし、その方法として菅野寿が被控訴人から受ける診療報酬を右協同組合において受領して債務の弁済にあてるため、債権譲渡をしたことを認むるに十分である。

次に控訴人らは右の譲渡は債権発生前の譲渡であるから譲渡の効力を生じないと主張するけれども、診療所における診療報酬は、診療担当者が療養の給付を担当した場合には、その診療報酬を保険者から支払いを委託された被控訴人(健康保険法第四十三条ノ九第五項、社会保険診療報酬支払金法第一条第十三条等)に対し毎月十日までに前月分の診療報酬請求書等を一括して提出すると被控訴人の審査委員会においてその月の二十日までに請求書の内容を審査し、それによつて決定された支払確定額を保険者からの受託金をもつて支払うこととなつており(保険医療機関及び保険薬局の療養の給付に関する費用の請求に関する省令(昭和三十三年十月十三日厚生省令第三十一号)、社会保険診療報酬請求書審査委員会規程(昭和二十三年十二月十三日厚生省令第五十六号第三条))、このことからすると、診療担当者である医師の患者に対する診療費の債権は、診療の都度具体的に発生するものではあるが、診療担当者の被控訴人に対する診療報酬債権は前月分の診療報酬請求書等を提出し、これが審査決定された金額が確定して具体的に発生するものであつて、しかも、その債権は診療という性質上特段の事情がない限り月々発生するものと認むべきであるから、その意味においてそれは一種の将来の債権と認めて差し支えなく、その譲渡は少なくとも当事者間においてはこれを有効と解するを相当とする。そして、被控訴人は前示のとおり債権譲渡の事実を認めて東都医師信用協同組合に対し、グリーンパーク日本人診療所における昭和三十六年一月分から同年十月分までの診療報酬を各その翌々月中に支払いその報酬債権はすでに消滅したのであるから、その後控訴人井口秀雄のえた本件債権差押および転付命令は、右の報酬債権についてはついにその効力を生じえなかつたものというほかはない。

(2)  笠井のえた前記診療報酬債権に対する差押および取立命令が実質上その効力を有しないことは、右に述べたとおりである。しかし、右差押および取立命令が形式的に存在することも容疑の余地がなく、裁判の当然無効という場合は特別の場合を除いては(裁判機関によらない裁判のような)ありえないから、右笠井のための差押および取立命令が裁判手続により取り消されまたはその執行が裁判により停止されない限り、その命令は形式上なお存続するものと解さざるをえない。そして、右の命令が形式的にも取り消されまたはその執行が停止された事実は控訴人らのなんら主張しないところである。

(3)  控訴人らは、笠井のために発せられた前記診療報酬債権に対する差押及び取立命令の効力は、前記三診療所及び病院における昭和三十六年一月一日よりの診療報酬債権のうち金三百十六万七千二百八十円までの部分に及ぶだけであり、したがつて、それは右の診療所及び病院における昭和三十六年四月分までの診療報酬債権に及ぶにすぎないと主張し右の期間中における診療報酬債権額が右の執行債権額を上廻ることは、当事者間に争のない事実に徴し算数上明らかである。しかし、三診療所及び病院における診療報酬債権は被控訴人に対するものである点において一個の債権であるかのごとくであるけれども、その発生が数カ所の診療所または病院に由来する意味において数個の債権と認むるを至当とするから、その債権の差押が一一個の差押命令によりなされた場合であつても、その範囲が常に執行債権額を限度とする同一月数の被差押債権の合算額であると解すべきかは疑がある。各別の差押命令により数個の給料債権を差し押えた場合と別異に解すべき理由はないものとも思えるからである(もつとも、拡張説によれば、この論議は無意味であろう)。しかし、ここには暫く控訴人らの見解にしたがつて論を進めてみよう。当裁判所の解するところによれば、継続収入の債権に対する差押は差押当時の執行債権額に見合う収入額に対してその効力を及ぼすだけであつて、その後になされる配当要求により差押額の範囲が拡張されることはないから、笠井のえた本件の差押及び取立命令がかりに適法だとしても、控訴人らの差押、転付にかかる診療報酬債権にその効力を及ぼさないことは、正に控訴人ら主張のとおりである。しかしながら、実務上継続収入の債権に対する差押の範囲はその後の配当要求により拡張されるとする説が強く、笠井のした債権差押に対しては原判決摘示事実第四の一の(四)ないし(六)記載のように配当、差押、転付または差押がなされた結果(この点は当事者間に争がない)、被控訴人の自ら認めるように、笠井が原判決摘示事実第四の一の(二)及び(三)記載のとおり債権の転付によつて弁済を受けた金額が合計二百一万七千四百四十九円にすぎず、(控訴人らは転付額どおり金二百二十二万六百四十五円の弁済を受けたと主張するけれども、これを認むべき証拠はない)、残額金百十四万九千八百三十一円の債権が消滅したと認むべき証拠はないから、笠井の前記三診療所における診療報酬債権に対する差押はその範囲が拡張され、いまだその効力を失わないとする見解も有力に存在する理である。そして、笠井の差押にかかる三診療所及び病院における診療報酬債権(別紙明細表中すでに弁済、転付、配当のあつた部分を除いた部分、すなわち、グリーンパークの分については昭和三十六年十一月分から、他の二診療所の分については同年三月分から、病院については原判決摘示事実第四の一の(四)記載の配当残金および同年十二月分)に対しては上に説示したとおりの競合差押または差押転付がなされているだけでなく(その差押または差押転付が実質上その効力を有するかどうかは問うところでない)、三診療所における診療報酬債権のうち同年八月分から昭和三十七年一月分までに対してはそれぞれ控訴人らのためその主張のように差押及び転付命令が発せられており、三診療所における右の診療報酬債権額が競合差押債権額に足らないことは明らかであるから、右の報酬債権に対する笠井の差押がなお効力を有し、控訴人らの差押、転付と競合しているとも考えられないわけではない。このように、形式上差押が競合しているとも考えられる場合に第三債務者にその競合の有無ないし差押の実質的効力の判断を強いることは酷であるから、かかる場合にも第三債務者は民事訴訟法第六百二十一条により債務額を供託してその債務を免れることができると解すべきである。したがつて、被控訴人のした供託は有効であつて、被控訴人はその限度で債務を免れたものというべく、控訴人らは右の供託金に対し自己の権利を行使するのほかはないものといわなければならない。

四(結論) 以上、控訴人らの本訴において請求する金員は、被控訴人の弁済又は供託により、もはやその支払いを請求することができなくなつたものであるから、そのほかの点につき判断するまでもなく控訴人らの本訴請求は理由がなく、したがつて、控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて、本件控訴をいずれも棄却し、控訴費用は敗訴の当事者である控訴人らに負担させることとして、主文のように判決する。(長谷部茂吉 鈴木信次郎 舘忠彦)

別紙、診療報酬金明細表《省略》

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例